Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

キエフ大学
2012年7-8月号 文学部 Y.T

ウクライナの学生の夏季休暇は大体6月から8月までの約3カ月なのですが、今年はEURO2012の影響で、早くも5月から長期休暇に入りました。5月から8月末までの約4か月間、私は一時帰国せず基本的に寮で過ごしました。キエフ大学の寮は夏季休暇中も寮で滞在出来ます。学生寮で生活する学生さんの多くは、この夏季休暇中に実家に戻り家族と過ごすそうですが、就職先を探したりアルバイトに精を出したりする学生さんも多いようです。私の知り合いの学生さんも長期休暇中は英語の塾講師や家庭教師として働いていました。 私のウクライナでの夏休みですが、特に今年は期間が長いこともあり、貴重な時間であるはずの海外での夏休みなのにも関わらず、かなり時間を持て余してしまったような気がします。以下、月ごとに夏季休暇中に行ったことを紹介したいと思います。

5月:夏が来る前に旅行をと思い、上旬にウクライナの南部、「黒海の真珠」とも呼ばれるオデッサへ、下旬にグルジアとアルメニアへ旅行に行きました。オデッサへは夜行列車(開放寝台)で往復しましたが、思っていた以上に快適でした。夏季休暇中オデッサは国内外問わず多くの観光客が来ることで有名なのですが、5月時点では人も少なく快適でした。ただオデッサが南部に位置する為か既になかなか暑かったことを覚えています。そしてグルジア・アルメニア旅行ですが、まずキエフからグルジアの首都トビリシまで飛行機で行き、翌日トビリシからバスで国境を越えアルメニアに入り、首都エレヴァンに行きました。個人旅行には慣れているつもりだったのですが、グルジアの空港を出てすぐに物乞い達に囲まれたり、小銭が無く両替も出来ずバスでの運賃が払えなかったり、宿泊する予定のホテルが見つからなかったり…とハプニングが多く、留学期間中で一番怖い、心細い思いをしました。両国とも旧ソ連の一部であり、現在でもロシア語が広く使われているようですが、グルジアでもアルメニアでも英語が良く通じ、基本的に若年の方には英語、中高年の方にはロシア語が良く通じたように感じました。治安は若干不安でしたが、行ってみると特に心配や問題はなかったように感じましたが、トビリシの物乞いと蠅の多さは閉口しました。約一週間の滞在の後再びウクライナへ戻り、普段通学に利用する地下鉄に乗って他の乗客(ウクライナ人)を見ると、何故が非常に安心したことを覚えています。この旅行は留学中の非常に良い経験・思い出になったと思います。

6月:EURO2012に興奮し、オペラ・バレエ鑑賞に熱中した月でした。EURO2012の期間中ウクライナはとにかく毎日がお祭り騒ぎで、ほぼ毎日キエフの独立広場付近に設置されているファンゾーンに通い、各国のサッカーファン達と交流を試みてみたり、ゾーンにある巨大モニターで観戦したりしました。とくにサッカー好きではない私にとって、凄く貴重な経験が出来たと思います。その一方で、ウクライナでは7、8月中は多くの劇場が夏季休暇に入る為、ここぞとばかりに大体3日に1回ほどのペースで劇場にも足を運びました。夏休み中最も充実した月であったと思います。

7月:7月中旬頃には大体の一大イベントは終わり、朝はロシア語学習、昼はインターネット、そして夜はテレビ視聴…と、部屋に籠る生活が続きました。この頃は暑い日が続く上に部屋には冷房器具が一切ない為、夜が寝苦しく何度か体調を崩すことがありました。又、日差しが強く、日本にいた時と比べて顔や腕の皮膚が随分傷んだような気がします。ウクライナの日焼け止めはやや高めな上に+が少ない為、日焼け止めは日本から買って持ってくることをお勧めします。また、この頃留学中初めて日本が恋しく感じるようになり、少しホームシックになりました。勉強がはかどらず、ダラダラとした生活が続いてしまいました。

8月:8月も7月の延長線上のような生活が続きました。8月は「三寒四温(暑?)」のような、連日暑かったのに急に涼しい、というよりは肌寒い日が続くような不思議な天候が続き、7月と比べて外に出やすい気候であったように思います。そのこともあり、8月中はキエフ観光を積極的に行うようにしました。普段下車しない駅で降りて市内地図を頼りに駅周辺を散歩したり、キエフ市内にある国立博物館等文化施設の見学をしたりして夏休みの最後を過ごしていました。