Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

中国人民大学
2011年9月号 国際文化学部 D.H

高級班A 2周目

前期はいろいろと策を立てたり、最後の最後で逆転があったりして痛快に高級班Aに入ったのですが、今期はクラス分け試験の受付の時点で、担当の人と十分にコミュニケーションが取れていたという理由で、あっさりとその場で高級班Aの出席許可通知を貰いました。
前期の高級班Aの生徒はすでに現地で働いている者や研究生がほとんどで、1年半から2年留学している者も多くいたので、授業のレベルもそれに合わせていたようです。今期の生徒は留学期間が0から半年の人がほとんどで、中には中国語が話せない者も数人いるので、授業のレベルは格段に落ちて実用のレベルには程遠いものになっています。前期と比べると、教材のレベルは教師の変わらない精読以外全て落ち、その精読も前期は熱心に予習をしていたので、個人的な視点で言えば、楽勝です。しかし、努力の度合いによって難易度は変わってきます。自分のクラスのレベルに不満を申し立て、クラスを変えてもらう制度があるのですが、変えてもらう前に実際に授業に出席してみて、自分の器量に見合うのかどうかを見定めないと、それからの半年はかなり努力をしない限り、目も当てられないものになります。
今期、高級班Aに入った者、特に、自分の能力を自分が属している組織や集団に依存している者にとっては、不遇だったと言うしかありません。この留学で自分が辿り着くべき場所は何処なのか、どのルートを進めばそこまで辿り着けるのか、自分で見極めてこそ、留学の成功は有り得るのだと思います。

 

ピンチはチャンス

この半年の留学期間を振り返ってみて、トラブルや危険だと感じたことはほとんど無く、どれもここに書くような事ではありません。北京はすでに人が生活するには十分な文明化を遂げていると思うので、大抵のトラブルは自力で解決することが出来ると思います。むしろ、留学中のトラブルはそれが小さなものなら自分の語学力を延ばす絶好のチャンスであると言えます。勇気と知恵を以って目の前の問題に真剣に取り組むことで、その問題の難易度が高ければ高い程自信がつき、出来ることが増えていきます。私の例えで言いますと、留学開始直後は銀行には一人では行けないと思っていたのですが、後に余裕で行けるようになったりして、外国語のコミュニケーション能力の大本は基礎的な学力にあるのではなく、「どう生きるか」といった考え方にあるのだと痛感しました。
留学先の言葉を全く話せない状態で来てしまった人は、何気ない日常風景ですらトラブルになってしまうと思います。そんな時は、先ず別の日本人に頼るのではなく、何か自分で出来ることはないかと探してみることが、留学成功の秘訣なのだと思います。

異文化体験の心構え

今期のクラスメイトは前期と比べると、個性豊かな人が増えたと思います。戦地へ取材に行ったことのある記者や、1番陽気なのに、宗教の決まりでお酒を飲むことが出来ない者など、一人一人の個性がよく現れて見えます。それは、前期のクラスは韓国人ばかりの今期のクラスとは違い、10ヶ国以上の人が集まっていたのですが、語学力の向上により、人とより深いレベルで意思の疎通が出来るようになった結果なのだと思います。 最近の日本でのニュースなどで反中に加えて、嫌韓を促す報道が流されているらしいですが、実際に彼らと付き合ってみると、決断の速さや、年配者を敬う文化から来ていると思われる好感の持てる思考法など、悪い所なんて十分に補ってみせる程の良い所が見つかります。それに、近い未来、アジアを中心に戦争が起こった時、最もどのような構図が有り得るのかを考えると、日本にとって韓国はアメリカよりも信頼でき、共に命を預け合える関係を築ける国であると思います。今は異質な者に対して排他的になっている時ではなく、中―露―北の
結束に対抗出来る関係を築くべき時であり、そうでなければ、10年後、日本は外国の奴隷になっています。
留学に関してもそれと同じことが言えます。十分に構造化された社会で生きていた日本人が見る異文化は、とても受け入れられるものではないのかも知れません。自国の日常の風景とあまりにも掛け離れすぎていて、その文化は間違いであると思い、一刻も早く帰りたいと言う者は少なくはありません。しかし、その国では人が実際に生活しており、その国独自のしきたりや考え方があります。異文化を楽しむためには先ず、全てを受け入れ、肯定する覚悟を決めることが必要です。そうすれば、より深く、その国の文化を理解することができ、楽しめるようになると思います。
例えば、店員がお釣りを渡す時、お金をこっちに放り投げず、手で渡してくれたというだけで感動するといったような、日本にはない感覚も異文化の楽しみの一つなのかも知れません。