Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

台湾師範大学
2014年5月号 文学部 Y.A

【試験について(師範大学篇)】

留学先の師範大学も日本と同様に中間テスト(期中考)と期末テスト(期末考)の2試験制である。

試験の難易度は科目によるが、華語学部の試験は語学の当然ながら試験なので、覚える努力をしたか否かで合格不合格が決まるというような試験である。日常生活であまり使わないような成語が出題されたとしても、正しい使い方を選択するとか、意味を説明するという程度で、それを用いて難しい文章を書けというような、無理な問題はでない。試験の結果は、ほとんどの授業で答案用紙が返却され、多くの学生が間違えた箇所は解説が行われる。華語学部以外の一般の学部の試験は日本の大学と同様、論述や解答などで難易度ももっぱら教授の裁量によるが、レベルは概して高い。

私がとっている歴史学部の授業のひとつは、担当の教授が日本統治時代を専門としておられ、日本語が流暢なだけでなく、日本の台湾史学界にも明るく、気さくに話しかけては、「○○先生の本は読んだことがありますか」とか「中文の教科書の内容理解は問題ありませんか」と時々気にかけてくださり、論述試験では日本語、英語での回答可というご配慮を賜った。私は半分中国語、半分日本語という中途半端な答案であったが、なんとか合格点には達していた。きっと先生のご配慮によるところが大だろう。ついでに「中国語で書いて内容が足りないくらいなら、次はすべて日本語で書いたほうがよい」というお言葉も頂いたので、期末考ではお言葉に甘えて、日本語で内容のしっかりした答案を書きたいと思う。ちなみに、この授業の試験結果はクラスで皆の前で読み上げられ、答案は日本と同じく返却されなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国を果たせなかった日本軍人を祀る高雄の廟(ご神体は写真の軍艦模型)

 

【台湾の人々と日本人の台湾観】

台湾は単一民族国家ではない。閩南系(ホーロー系とも、70%)、客家系(ハッカと読む、14%)、原住民(2%)、そして戦後、中華民国国民党として台湾に移った外省人(14%)がその内訳である。(数値は参考程度)閩南系すなわち大陸の福建省やその周辺にルーツを持ち、台湾語(閩南語系)を話す人々のことで、主に明朝から清朝時代に台湾へ渡った人々の子孫だが、「有唐山公無唐山媽(大陸に祖父はいても祖母はいない)」といわれているように、政策上女性は台湾への移住が認められていなかった為に、父系は大陸にあっても、母系は平地に住む原住民がほとんどだといわれている。次に多い客家の人々は、独自の文化を持ち客家語と言われる独自の言語を話す。客家(「主」に対する「客」)という名前からもわかるように、本来中原にルーツを持ちながら、時代の流れと共に“客(よそ者)”として、南へ、東へ移動と定住を強いられた人々である。海外華僑の3分之1が客家ともいわれているように、人数は比較的多く中華文化圏以外の国家でも客家語や客家文化を護っていることが多いといわれている。

次に原住民である。原住民は大まかに、平地で生活する「平埔族」と、山地で生活する「高山族」に分けられる。清国が台湾を「化外の地」として、消極的にしか関与しなかった理由の一つに原住民(当時は蕃などと呼ばれ蔑まれていた)の存在があげられる。テリトリーに侵入したり、山中で偶然遭遇したよそ者の首を刈る「出草」という習慣は、清国の行政官がその地を治めることを拒んだのである。

最後が外省人で、彼らは第二次世界大戦後、連合国の指示によって台湾を占領した中華民国軍と、国共内戦の敗北濃厚を悟り、1949年に民国政府と共に流れ込んできた人々である。彼らは軍人として、党政府関係者として台湾に渡り、支配者として民主化まで政治を独占し、ときには台湾の人々に銃口を向けたこともあった。

ただ、これらの民族グループは徐々に混血を繰り返し、また、海外からの大量の移民を受け入れることで多様な文化を受け入れる寛容な気風を築いてきた。よって、今では外省人対本省人という見方では、台湾を正しく理解することができなくなっている。

さて、私は留学前からとても気になっていたことがある。留学試験の面接の席での面接官の「君は台湾語で話しかけられて嫌な思いをする人がいることを知っているか」という一言である。私が留学志望動機書や学習計画書あたりに書いた「北京語だけでなく台湾語なども少し学びたい」という旨の文章に対しての言葉ある。これを聞いたときは、とても驚いた。面接官はこの外省人対本省人という構図が頭にあり、外省人の立場に立っての発言したのだろう。どちらか一方の立場(言うなれば多数派の本省人と少数派の外省人)に立って発言するのも如何なものかと思うが、なにより多様な文化を尊重するムードが成って久しいこの時代にあって、「国語以外を話すのはけしからん」と言わんばかりのこの発言は、かつて日本がアイヌ語や沖縄方言を禁止した支配者優越理論に変わりなく、ナンセンスである。私は台湾に来てから、官学民を問わず様々な立場の人にこの話をして、反応を見て、意見を聞いてみたが一人として、このような考えを持っている人はおらず、「そういう人が日本にはまだいるんだね」とか「それは大学の先生の言葉なの?」という驚きと疑いをもった反応であった。この面接官だけに限らず台湾に対する日本人の認識というのは、とても乏しいか、偏っていることが多いのではないだろうか。外省人対本省人という考え方や、台湾を「親日国」という枠でしかとらえられず、日本統治を賛美するだけのネット上での書き込みなどである。

かつて、日本は単一民族国家であるといって非難を浴びた政治家がいたが、その実、私たち日本人が日常生活を送るうえで、異文化を持つ人々を意識することは皆無に等しい。私がこの留学によって得たことの中でもっとも意味があると思えるのは、中国語が多少上達したということよりも、上記のような日本にはなかった異文化、異言語が共生する社会のなかで、多様化と民族のアイデンティティー、国家観などについて考える機会を与えられたことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

白色テロ時代の政治犯用監獄が参観できる緑島は景色も美しい