「新しい橋」と呼ばれている、旧市街とドナウ川の反対側をつなぐ橋
①「自由テーマ: スロバキアについて」
スロバキアの歴史について述べていきたいと思います。スロバキアはご存知の通り日本から離れたヨーロッパに位置しており、アジアにいるときのようになんとなくその国について知っている、というような経験が少ないでしょう。そのため、過去にそういうことがあった、とかこういう文化や考え方がある、などは想像しにくいと思います。こちらに来た際の話題づくりや、交換留学の志願書を書く際に役に立てれば幸いです。
スロバキアは中央ヨーロッパに位置する共和制国家で、首都はブラチスラバです。周囲をチェコ、ポーランド、ハンガリー、オーストリア、ウクライナの5つの国に囲まれています。日本のように島国ではないため、過去に何度も国境が変わっています。
“10世紀にハンガリー王国が建国されると、この地域は北部ハンガリーとみなされるようになりました。しかし、隣国オーストリアの大国化が進むと、現在のスロバキアの地域を含むハンガリーはオーストリア大公国の支配を受けるようになり、ハンガリーの首都がブラチスラバに移されました。その後、19世紀前半にハンガリー民族運動が進むと、ハンガリー王国の王位はオーストリアにあるがその下で2国家は別々の国会と政府を持つ二重国家に支配されるようになりました。WW1後、オーストリアが敗北すると、1920年にチェコスロバキア共和国としてハンガリーから独立しました。しかしナチスの進行により、現在のチェコの地域にドイツ系の移民が多いという理由でチェコスロバキア共和国は、西半分をナチスに割譲する、保護領とすることを迫られ、東半分のスロバキアも実質はナチスの支配下にありました。WW2が起こると、対ナチス運動が激しくなり1945年にナチスが敗北すると、チェコスロバキアは解放されました。その後チェコスロバキアは1946年の自由選挙にはじまり、西洋的な議会制民主主義国家となりました。しかし、東西冷戦が進むとソ連の圧力が強まっていったこともあり、共和党のチェコスロバキアのクーデターが起こると、共和党政権が成立し、1948年にチェコスロバキア社会主義共和国となりました。共和党政権下で経済が停滞してくると、民主化運動が起こり始めました。繰り返し弾圧されてきたこの運動は、ついに1989年にチェコスロバキアの民主化が実現されました。しかし、2民族の国家間で様々な問題が生じ始め、1992年にチェコスロバキア共和国は、チェコとスロバキアに分離することとなったのです。”(世界史の窓 2017/10/08)
本当に本当にざっくりとまとめました。詳しくはこちらをご覧ください。
→ 出典:http://www.y-history.net/appendix/wh1502-105.html 世界史の窓 2017/10/08
新しい橋の旧市街とは反対側の方、社会主義を思わせる建物があります。
②「自由テーマ: スロバキアについて」
スロバキアの文化について、私の知識の範囲で書きます。スロバキアは隣国との関りが、立地上でも歴史上でも多いと感じます。チェコはブラザー、ロシアはファーザーのようだと聞いたことがあります。また歴史的な建物が残っている地域と、社会主義の名残が残っているような地域が混ざって存在しています。私はこれまで歴史的な建物が残っている地域の写真ばかり乗せてきましたが、これは多かれ少なかれ他の国にも言えることです。
それからスロバキアの人は大変お酒に強いです。ビールがとてもおいしい国で、人にもよりますが、多くの人はリットル単位でお酒を飲みます。ボロビチカ、という何とも言えない味のとても強いお酒を飲むのも留学生がこちらに来た時の伝統です。メドヴィナ、というはちみつからできた甘くておいしいお酒もありますので、ボロビチカを飲んだ後はメドヴィナを飲んでください。
お祭りなどのイベントは私が体験したものでは、4月にイースターがありました。町に卵などの装飾が飾られ、日本ではディズニーランドでしか体験できないイベントをスロバキアでは満喫できます。秋には収穫祭があり、できたばかりの甘いワインや、お肉料理をワイワイ食べることができます。10月にはハロウィンと、来月からクリスマスマーケットが始まります。キリスト教に関係したイベントが多いかもしれませんね。
エラスムスのイベントでは、スロバキアの東の方にある、タトラ山脈に行くツアーもありました。タトラ山脈はスロバキアの€コインのデザインにも使われている美しい山です。
そのほかのイベントは、フェイスブックで確認することができます。首都ということもあり、たくさんのイベントが開催されています。