Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

米国仏教大学院
2013年3月号 文学部 Y.K

1日本からもってきたらよかったと思うもの。

日本からもってくればよかったと思うものは、小蝿とりです。

私は、ほとんど自炊をしていたので台所にいて勉強することが、多かったです。
暑い季節になってくると、バークレーでもちょっとした果物などに、小蝿がきました。こちらは、強力すぎるスプレーでおとすものしか売っていません。日本の置いておくだけで、小蝿が集まるものが、やくにたちました。少ししか持ってきませんでしたから、もっと持ってくればよかったと思いました。

バークレーは、日本食の店も多く、食材も手に入りやすかったので、困ることはありませんでした。ダイソーもあります。
ただバークレーは、寒い日もよくありましたから、ダウンジャケットがあるとよかったです。現地で買いました。

でも、それ以外はあまり日本から持ってこなくてもよかったものが、多いように思います。服は買わないつもりでも、アメリカに来れば流行っているものも違うし、安い店もありますし、購入することになりがちです。ですから、服は少なめに持ってきたら十分でした。

2現地の学生 友人

今回の留学で、一番よかったことはすばらしい出会いがあったことです。本当に、素敵な友人ができました。
わたしが、GTUで出会ったメグは人生のキーパーソンと言えると思います。
こちらで出会う学生は、本当に年齢が幅広く、メグは70才をこえています。
カウンセラーの仕事をして、教えるような立場でありながら、学びつづけています。キリスト教のユニテリアン派の牧師でもあります。
彼女と出会って、語りあったさまざまなことは、深く核心に触れていって、わたしに新しい心の気付きをおこしてくれました。
いまでは、お互いにシスターであると思っています。

全体的に、こちらの人は、オープンマインドの方が多いですから、自分から心をひらいて接していくと、どんどん仲が深まるかんじがします。
ときに言語を超えて、自分の中に伝えたいものがあること、それを気持ちこめて話すことがとても大事だと思います。そうすることで、生涯の友達に出会えると思います。

3自由テーマ
-バークレーでの生活-

こちらにいる間にも、アメリカでは恐ろしいテロ事件がいくつかありました。日本にいる親族からは心配されましたが、幸いに、バークレーでの事件はありませんでした。
初めて来たころは、道を歩くのは昼間でも緊張しましたが、時間帯と場所を選び、自分さえしっかりしていれば問題はありません。
バークレーはすれ違うのもほとんどが学生です。ホームレスは多いですが、危害をくわえてきたりはしません。
バークレーは、むしろ住みやすいなあ、と感じたのが実感です。
街で出会う人は、フレンドリーな人が圧倒的に多いです。目が合うと、微笑んでくれるひとによく会います。とても気分がよくなります。
買い物をしていても、品数が多く迷っていると、ほかのお客さんが話かけてくれて説明してくれたりします。また、こちらが聞かれることもあります。
銀行でも、ハミングしながら手続きをしてくれる明るさ陽気さに驚かされました。
こんなふうに生きたいなと思わされる人と、たくさん出会えたことはすばらしかったです。