現地の学生、友人について
私は英語学部に所属していたため、英語学部、そして日本語学部に幾人かの友達を持つ。
ベトナム人学生は基本的にはとても勉強に熱心である。その情熱は日本人以上に感じる。実際に勉強時間を考えても、そう短くはないはずだ。少なくとも彼らは、大学生活を人生のモラトリアム期間とはとらえていない。一方で、実際に授業に参加してみてわかることだが、授業形態が高等学校とほぼ同じなのである。私たちのように、自ら授業を選ぶのではなく、時間割も含めすべて初めから決まっていて、しっかりとクラスというものがあり、皆で大学生活四年間を乗り切るのである。英語、日本語の授業のほかにもベトナムの文化、共産思想、体育に第二言語と続く。日本の大学よりある意味ものごとを専門的に学ぶことができる一方、広い視点を持つための基礎知識や教養といったものは育みにくいだろう。
実際に授業をともに受けて、ベトナム人はとても気さくで親切であることが良く分かった。クラスとしてのまとまりもあるだろうが、みなとにかく仲が良い。私のクラスは特に笑いの絶えないクラスであった。分からないところがあれば教えあい、グループ課題でも協力しあう。人と人の距離がとても近い。私も来たころから一年間、ずっと助けてもらいっぱなしだった。テストのときも当然のように教えあう姿は、彼らの仲間意識の強さ、助け合いの文化を色濃く反映したワンシーンといえるだろう。
現地の学生、友人について2
日本語学部の学生と会う窓口といえるものがハノイ大学にはある。Jクラブといわれるグループだ。そこでは主に日本語学部の1.2年生が主体となって、日本語を勉強しあっている。そこでは日本に関するクイズや日本の伝統芸能、日本の歌などを通じて日本語に触れている。日本人がそこに出向けば、きっと歓迎されるだろう。日本人というネイティブスピーカーは重要な学習教材であり、なにより、自らの学習する文化をしょって立つ人間は新鮮に見えることだろう。私もそこで大変お世話になった人間である。
では彼らはなんために勉強しているのだろうか。日本語学部の学生のほとんどは、ハノイの日系企業に就職するためと答えるだろう。実際、日本語をしゃべることの出きるベトナム人の給料は一般の物よりかなり高いらしい。しかし一方で、日本で働きたいというベトナム人は先ほどよりは少ない。彼らは祖国で働きたいのだ。彼らは日本人以上に自らの故郷に根を下ろし、あるいは縛られて生きているように思う。