夏休みは10月の間の3週間ほどでした。日本の大学と比べると非常に短い夏休みです。雨期だったのでじめじめ。そこで、タイからちょっとお隣さんに行ってみようという事で友人3人(日本人・中国人・ブルキナファソ人(アフリカ))と一緒にカンボジア、ベトナムへバックパック旅行をしました。
・順路
バンコク・タイ→(バンとバス)→シェムリアップ・カンボジア→(夜行バス)→プノンペン・カンボジア→(夜行バス)→ホーチミン・ベトナム→(飛行機)→ハノイ・ベトナム→(バス)→ハロン湾→(船)→カパ島→(飛行機)→バンコク
初日はバンコク、バックパックの聖地とまで呼ばれる「カオサン」にて宿泊。次の日からバンにのって5時間、タイとカンボジアの国境の「アランヤプラテート」へ行きました。アフリカから来ている友人がビザをとるのに時間がかかり、一緒につき合う事に。なんでもアフリカ系の国籍を持つ人は行ける国が限られているらしく初日からパスポートコントロールで”国の差”を目の当たりにすることになりました。ビザはとれたもののビザ取得の料金は基本の2倍かかり滞在期限が1か月から2週間に縮小。世知辛いですが行けるだけましでしょう。
”貧乏”
カンボジアに到着時の第一印象です。非常に国力の弱さを感じました。国全体が廃墟になったとも言われたポルポト政権。爪痕は目に見えて残っていると感じました。国境付近「ポイペト」では特に何もする事が無いのでバスに乗って「シェムリアップ」へ。アンコールワットで有名な町です。
シェムリアップに到着。10時頃到着して宿をとっておらず、道も分からずでしたがバンコクから一緒だった方に宿を紹介してもらいそこで泊まる事に。去年出来たばっかりの新しい宿。宿泊料1泊一人10ドル!カンボジアでは”リエル”と呼ばれる通貨が存在しますが基本的に1ドル以上の額はUSドルを使います。次の日からは早速アンコールワットに観光!の前に水上マーケットへ。トゥクトゥク(3輪自動車)でぬかるんだ未舗装の道を走り約50分の距離。到着し、船に乗ってガイドさんと一緒に船で生活する人の暮らしぶりを見学。途中で小学校に立ち寄った際、とても深刻な現場に遭遇。私たちが立ち寄った小学校に通っている子供達は身寄りのない子達でした。食事は観光客による寄付のみだと。子供達がたくさん食べられるのなら、との思いの下4人で米と水を寄付することに。子供達、教職員の方々が喜んだ時の顔がうれしくもありますが、ふがいなくもありました。
水上マーケットの後は気を取り直し観光。アンコールワットで世界遺産を見学。後数十年もすれば崩れてしまうというアンコールワット。しかし初めて見たときのあの壮大さは圧巻でした。大きな敷地に大きな石造の建物。偶像。どれもこれも精巧に作られており当時の繁栄がうかがえました。アンコールワットの敷地は非常に広く、乗り物を使っても1日で全てを回る事が出来ないので次の日に持ち越すことに。
2日目の観光。前日と同じくトゥクトゥクに乗り観光。雨が止んだ後で自然の木々と建物がキラキラしており、非常に神秘的でした。例えるなら、ジブリ作品、天空の城ラピュタの、ラピュタの中に入り込んだ感じでした。建物から生えた大木、コケに覆われた偶像、草花などの写り方が、普段植物を見た時とまた違った見え方で、心が洗われた感じがしました。シェムリアップでの体験は私にとって貴重な経験となり、もう一度行きたい旅行地になりました。その日の晩、首都、プノンペンへ夜行バスで向かいました。
”首都??これが?”
これがプノンペンに来た時の感想。いろいろな国を旅行してきましたが、中でも一番首都らしくない首都だと感じました。それもそのはず、ここカンボジアのGDPは、日本は鳥取県と同程度とだそうで、無理もありません。シェムリアップと比較すると確かにプノンペンは都会ですが、お隣バンコクと比べると差は歴然です。宿を探し荷物を置き、早速、Killing fieldへ。
“(ゾワッ)”
Killing fieldってご存知でしょうか?ポルポト政権下、大量の人が収監施設からそこへ運び込まれ、虐殺された土地。言葉が出ないほどの異様な雰囲気。霊感は無い私ですがついた瞬間の物々しい雰囲気を感じました。目の前には虐殺された人の遺骨が並べられた塔、虐殺された人たちを埋めた穴、未だに雨等で土から出てくる死者が最後に着ていた服の布切れや歯、母親の前で幼児を足で掴み、頭からめった打ちにして殺すために使われた木。当時の残酷な現場を想像してしまう場所でした。
市街地に戻って、その収監施設を訪れました。もともと小学校だった施設は、政権交代後すぐに収監施設兼拷問所として使用され、現在も血痕や、牢獄や、収監者の写真が全て展示されていました。人間が人となった瞬間にこのような残虐な事が出来ると考えるだけでぞっとするプノンペンでの2日間でした。
“カオス!”
プノンペンを後にし、アフリカ人の友人は、国名が分からないから発給出来ないという理由でベトナムのビザを取得出来ずそこでお別れ。一行はベトナム、ホーチミンへ。到着した瞬間からこの国はハプニングだらけでした。タクシーのメーターが細工されており運転手と車内で大喧嘩、両替のレートが違法なほど低すぎてそこでも言い合い、携帯を使用しながら街を歩いていたらひったくられそうになり大声で怒鳴り散らす、恐れ多いホーチミンでした。でも、そんなカオスな感じが僕は好きでした。日本ではほとんど失った何かがそこにある気がしました。大学で出会ったベトナム人の友人にホーチミンを紹介してもらい、朝、昼、夜のホーチミンを堪能しました。一行はホーチミンを後にし、飛行機でハノイへ。
“質素…”
中国に長い間統治されていたベトナム。社会主義の下で国が動いているので何か違った雰囲気を感じました。北朝鮮のような、中国のような、でもこれがベトナム。ハノイはホーチミンよりも質素。夜11時頃になるとほとんどのお店が閉まり、クラブなどがほとんどありません。夜の1時頃になると人がいません。ハノイに来て唯一したかった事が北朝鮮レストランで平壌冷麺を食べる事。行ってきました。配膳係のお姉さんの目が笑ってない微笑みは未だに忘れられません。1日も観光すると主要箇所全て回ってしまったのでそのままハロン湾のクルージングに参加することに
“でっかい岩!!”
ハロン湾の名所は何と言っても入り江にある大きな岩?島?がごつごつと乱立しており、晴れた朝の眺めは絶景でした。カヤック体験や、船の上でのタンニングとビールとつまみは最高の休息になりました。
“熱”
ハロン湾からカパ島へ。しかしあいにく風邪を敷いてしまい3日間ホテルで寝込む始末。カパ島でよかった事。友人が買ってきてくれたリンゴが美味しかった事。病み上がりの状態で食べたフォーが美味しかった事。景色が奇麗だった事。
終わりに
最後まで読んでいただいてありがとうございました。長々と書きましたが、今回の旅は内容が濃いものでした。日本はいろいろと問題はあるけれど、本当に凄い国であった事を痛感した今回の旅行でした。