Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

中国人民大学
2024年3月号 文学部S.N

「余暇の過ごし方」

 北京に来てから、7ヶ月目に突入した。今回は余暇の過ごし方について紹介する。基本的に月曜日から金曜日まで平日は授業、土日に友人と遊びに出かけるという生活は日本での大学生活と大差ない。ただ、留学中はアルバイトがないので旅行に費やせる時間が比較的たくさん取れる。週末は北京市内を、長期休みは飛行機や高鉄(新幹線のような高速列車)に乗って遠いところを旅行して来た。たくさんの場所を訪れ、どこも本当にいろいろな発見があったが、その中でも印象的だった場所をいくつか紹介しようと思う。まずは私が今通っている大学がある北京。北京では有名な紫禁城そして万里の長城を訪れた。紫禁城も万里の長城も日本にいる時テレビや映画で見る機会があり、期待していたが実際に見てみると想像以上に迫力があった。建物自体も規模も日本では考えられないような大きさであり中国という国の大きさを感じ、圧倒的な迫力を前にするとこれらの建造物が権力の象徴として当時の人々の目にどのように映っていたのかがわかった。自分の足でその地に訪れ、自分の目で見ることは本当に刺激的だと改めて感じた。2つ目は歴史的に日本とも深く関わりのある土地である東北地方を訪れたときのことを紹介する。この地方は日本がポツダム宣言を受諾した後、旧満州国から一斉引き上げしたときに何らかの理由で残った日本人が多くいる地域である。そのため、日本にルーツのある人々が他の地域に比べて多い一方で、過去の記憶から日本や日本人に対してあまりいい感情を抱けない人も中にはいる。この地方の旅行は戦争でおった傷は現在まで消えることなくこの土地や人々の心に残っているのだと知る機会になった。日本にいてはわからなかった現実を実感したり、私たちが向き合うべき過去の歴史について考えたりすることができた。このような経験をしたことも私が中国に留学した目的の一つになると感じた。もちろん暗い旅行だったわけではない。東北の人々は他の土地から来た人々をたくさんの料理とともに明るくもてなすことで有名なようで、私も明るく迎えられることがほとんどで、美味しい料理もたくさん食べることができ大満足の旅行だった。

 

「日中間の恥ずかしいの感覚の違い」

 中国に来てから、日中間の文化の違いは色々と感じてきた。その中の一つに「恥ずかしい」という感覚についての違いがあり改めて今回考えることにする。日本と中国での恥ずかしいは少し違うように感じている。恥ずかしいと感じる場面の種類が違うという表現の方が正しいかもしれない。まず一番違うなと感じたのは以前のレポートでも述べたが、メイクについての意識だ。日本ではメイクをせずに出かけることに恥ずかしさを感じることがあったが、中国ではそのような感覚はないようだ。自分がしたいときにメイクをするスタイルだ。一方で中国では親しい間柄やこれから親しくなるであろう相手に対して、「寛大な人間だと思われたい」「ケチな人間だと思われたくない」という思いからくる恥ずかしくないようにしようという意識は日本よりも強いと感じる。また、誰かと比較して負けるということに対しても恥ずかしいと感じるように思う。ただ、負けたくないがために人を蹴落としたり見下したりということが日本より多いかというとそうではない。いい方向に競争意識が強いと言える。そして、日本のように人目を気にしすぎるがあまり本来自分が望んでいることができなくなるということは中国では比較的少ないと感じ、この点は中国の方が私は好きだ。ただ、こちらに来て気がついた日本人特有の考え方が素敵だなと感じたこともある。それは公共の場所や物を使うときの態度である。私たち日本人は幼い頃から「みんなで使うものだからきれいにする」という感覚を養ってきた。トイレやフードコートなどはわかりやすい。日本でこのような場所がきれいに保たれているのはこれらの場所を使う人々一人一人が次の人のことを考え人として恥ずかしくないよう、その場をきれいにしてから立ち去るからだ。日本では当たり前とも言えるこの考え方、しかしこれは簡単ではないようだ。誰が使うかわからない、顔も知らない次に使う誰かに対して「恥ずかしい」という感情はなかなか湧かない。恥ずかしいまでではなくとも、その次の人が自分だったらと想像したりすることも日本人であるから当たり前なのだなと感じた。この点に関しては日本の素晴らしい文化であると感じた。