グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

リールカトリック大学
2019年12月号 国際学部 K.T

1. 治安、危険を感じたこと、トラブルについて

まず私の住んでいるリールでは、アジア人に対しての悪口を道端で吐かれたりすることは多々ありました。例えば「くそ日本人が」や「国に帰れ」などです。ですが何回か経験すると分かるのですが、このような言葉を発してくる人たちは(誤解を恐れずにいいますが)社会的に地位が低いひとや、差別されることの多い人種の人たちばかりで、自分自身の今の状況に不満がある層や人種の人達です。なので彼らに何か言われても、何も思わなくなりました。教養のない人たちだと思って無視すればいいです。彼らが何か人体的に害を及ぼすことはあまりないように思います。

ただ、パリではそう言った目に見えないものではなく、目に見えて治安が悪いと思うことがありました。私自身はまだ被害はありませんが、パリでの被害はよく耳に挟みます。同じ留学生の台湾の女の子のスマホがメトロで盗まれたり、韓国人留学生の鞄が置き引きされたり、一緒に旅行に言った日本人の友達のスーツケースが消えたりしました。いずれも不注意が原因であるといえばそうですが、まさかその状況で、という状況で起こったものもあったので注意して注意しすぎることはないなと思いました。

こちらに来てすでに5ヶ月目ですが、この頃分かったことがあります。

「気をつける」ことと「恐怖を感じる」ことは違うということです。留学中、海外にいるのでもちろん気をつけること、注意することは一番大切ですが、恐怖を感じる必要はないということです(もちろん恐怖を感じるべき命の危険がある状況は別ですが)。私自身、最初の2ヶ月は上記で書いたような嫌な言葉を聞くのが嫌で(と言っても滅多にありません)学校以外で外出するのが恐怖でできるだけ内側にこもって、何をするにも恐怖がありました。ですが「恐怖」を感じる必要はないと4ヶ月がすぎた頃に思い始めました。「気をつける」ことと「恐怖」は別物だと認識できたのです。今振り返ると、知らぬ間に自分の中での恐怖を現実以上に大きく作り上げていたと思うことが多いです。

近頃それと似たような話を読んでお気に入りになった本の一節に、「チーズがないままでいるより迷路に出て探した方が安全だ」「恐怖を乗り越えれば楽な気持ちになる」という文章があり、その通りだと思いました。気になる方はぜひ調べて見てください。すごく良い本でした。

 

2.クリスマス

クリスマスは、11月号でも書いたフランス人家族とその親戚達とパリで過ごしました。

最初はフランス人家族の中で二人としか面識がなくとても緊張したのですが、何日か一緒に過ごしているうちに他の人とも打ち解けて来ました。フランス人は最初に会った印象と大きく変わることが多いなあとこの頃思います。この家族の親戚の中でも、初め目も合わないし真顔であまり笑わない人で怖いなあ、きっと家族じゃない人がここにいるのが嫌なんだろうなあと思っていた人が、喋っていくうちに真顔でジョークを飛ばすタイプの人で、目が合わなかったのは人見知りだったからだとわかりました。打ち解けて見ないとわからないことが多いです。そして打ち解けないとその輝いている部分を絶対に見せてくれません。留学したての頃はそこが大苦手だったのですが、今はそれが醍醐味のようになって硬いココナッツの皮(11月号参照)を破ることにハマってしまいました。このクリスマスでやっと星の王子様のキツネのあの一言を理解したように感じます。「君とは遊べない。なついていないから。」

さてクリスマスの話に戻りますが、面白いなと思ったのが、大人同士でもプレゼント交換をすることです!クリスマスイブの夜に一番豪華なディナーをし、その後日を越した時にプレゼント交換です。おばあちゃんから娘さん、お婿さんへ、お婿さんからおじいちゃんへという風に個人個人に交換していました。

私もフランス語の本(星の王子様含む)や置物など素敵なプレゼントを貰いました!日本では子供がサンタ(という名の親)からプレゼントをもらうイメージが強いので、大人同士で個人個人にプレゼントを交換しているのはとても面白かったです。

また、料理もほとんど自家製で、どれも美味しかったです。特にGigot de sept heures (7時間かけて料理する羊もも肉)はとても美味しくお気に入りになりました。ついでに「les carottes sont cuites」(直訳で人参は煮えた、意味はもうしょうがない・することがない・終わり)という表現も教えてもらいました。笑

galette de roi というケーキのようなものも自家製で、中に一つ隠されているそら豆を見つけた人が王になる、というものも食べました。今回はそら豆ではなく人形でしたが、見つけたのはおじいちゃんでした。

パリはその頃大規模なストライキをしていて運転手のいない1番線と14番線しか動いていませんでしたが、クリスマスは家にずっといたので問題なく楽しめました。