Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

コメンスキー大学人文学部
2024年2月号  国際学部 Y.K

1渡航・入国について

私は成田から北京、北京からウィーンのフライトで、ウィーンからブラチスラバには直通のバスで行きました。ブラチスラバにも空港はありますが、日本からだと乗り継ぎが二回必要だったり、フライト時間がより多かったりしたため、ウィーン行きのフライトを選びました。まず、北京での乗り継ぎは、海外での乗り継ぎが初めてだったので、かなり余裕を持ったトランジット八時間のものにしました。しかし、フライト前日に知ったのですが、中国ではネット規制によりSNS関連全て使えなかったため、トランジットはかなり苦痛でした。入国はかなりあっさりでき、むしろ入国していいのか不安なくらいでした。空港についてからは事前に用意していたSIMが使えず、清掃員にブラチスラバまでの行き方を聞いたら、偶然にもブラチスラバ出身の方で、親身になって教えてくれました。しかし、英語が喋れないスロバキア人の方だったので、今後自分が置かれる状況に実感が湧きました。ウィーンからブラチスラバのNivyというショッピングモールの地下にあるBus Stationというバス停にはFlixbusで行きました。SIMカードを買うためにそこで降りましたが、MostSNPが一番寮には近いと思います。どこで降りても寮まではバスを二回乗り継ぐ必要があり、スーツケースを二個持つ元気が残っていなかったので、タクシーアプリを使ってタクシーで寮に向かいました。日曜日に到着したためチェックインに時間がかかりましたが無事到着できました。

 

2オリエンテーション・授業選択について

オリエンテーションについては、ウェルカムウィークが一週間設けられていて、初日の入学式から、ESNというエラスムス生徒(ヨーロッパの留学生制度)向けのイベント、また、Survival Slovakというスロバキア語の一週間限りの授業が受講できました。入学式では、自分の出身地が呼ばれたら立つという時間があり、ほとんどが他国のヨーロッパから来ている人ばかりでした。アジアは自分も合わせて4人程度だったと思います。友達はエラスムスのイベントに参加することですぐにできると思います。SurvivalSlovakは全くわからないと生活に困るかもしれないと言われたため、名前の通り生き残れる程度のスロバキア語を学べる授業を取りました。1セメスターの授業もありましたが、5日間毎日3時間ほどの授業で本当に簡単な日常会話は学ぶことができ、龍谷の単位には反映されませんが無事単位も貰えました。現在来て1か月半ですが、ほとんどは忘れてしまいました。でも生活できています。

授業選択については、事前にもらっていた、英語で開講される授業一覧から選びます。大体の授業はスロバキア語で開講されているからです。英語で開講されていると書いてあった授業に行っても、スロバキア語で進められる授業もいくつかありました。その時は最初の時点でスロバキア語が分からないことを伝えると、先生によってはエラスムス生だけのために英語で開講してくださる授業と、受講を断られる授業とありました。最初の2週間はお試しで履修登録をしていなくても見学をできるので選択肢は多くしておく方がいいと思いました。8creditsしか取れなかったと言っている友達もいました。人文学部ですが、Faculty of Artsということもあり美術関連の授業も多く、ヨーロッパの芸術性を学ぶことができ、楽しく英語で学ぶことができそうです。

 

ブラチスラバ城

 

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