[授業紹介]
●社会科学哲学
私は自分の留学の目的のひとつである「哲学に触れる」ため、この授業を受講しています。これは”Vorlesung”と言われるもので、特別な申し込み等をする必要がありません。大教室なのでゼミナールと違い、まだドイツ語がさほどできない場合でも気軽に参加できます。私は自分の専攻である哲学の講義を受講しましたが、このシステムならば文学や歴史などドイツ語以外で興味のある分野を深めることも可能です。この”Vorlesung”は学期末にテスト受験の申し込み、そのテストに合格することで単位(ポイント;ドイツの大学は日本と違い、各自がポイントをかき集める。よって留学における単位認定は、システムの違いなどから決して簡単ではない)をもらえる。哲学の授業の内容は、龍谷大学で学んだことと変わりません。つまり自分の専門分野においては他の学生と同等の理解が期待できるというこです。この点で大いに助かっています。
また私は中世ヨーロッパの歴史の講義も受講しています。この授業は少し年老いた教授が壇上の真ん中で椅子に座って、テキストを読み進めていきます。受講者は決められたテキストの範囲を事前に読み、授業に望みます。私がこの授業で最も感心したのは、受講者の九割がすでに定年を迎えたであろう男女であることです。龍谷大学にも同様の市民大学のシステムがありますが、それとはあきらかに違います。彼らは二十代の学生と同じように学食を利用し、大学で独自に遠隔授業を受け、また決して特異な存在ではありません。これこそ開かれた大学と呼ぶにふさわしいのではないかと思いました。
また私は「Uni Sport」という大学の施設で開講されているスポーツの授業を受講しています。スポーツの授業は幅広い選択肢が用意されています。例えば、ボクシングやサイクリング、グライダーやサッカー、マラソン、ティラピス、ヨガ、柔道、柔術と他にもまだまだあります。各コースに値段が設定されていて、一度だけ二十ユーロ払うもの、毎月十ユーロ払うものと、まるでサークル活動のようでもあります。もちろん週に一回の授業で単位ももらえますが、それよりも週に一回体を思いっ切り動かすことがストレス発散になります。ぜひ自分の好きなスポーツを選んで参加してください。
私は柔術という授業を取っています。先生は柔道着を身につけ、黒帯を締めています。日本に行ったことはないそうですが、術は見事なものです。この授業ももちろんドイツ語のみで進められます。私がよいと感じたのは、先生が模範演技をしてくださるのでドイツ語の勉強につながる点です。また皆、柔術は初めてなので自分だけが取り残されるということもありません。生徒も皆ドイツ人で貴重な体験ができています。
[カルチャーショック]
●人口構成
まず驚くのはトルコ人をはじめとするドイツ人以外の人口の多さです。日本に外国人が少ないだけに余計にそれを意識します。トルコ人は早くからドイツに住み込んでいるだけに多数のトルコ系ファーストフード店があります。彼らの優しさには大いに癒されます。ドイツ人が決して冷たいわけではなく、彼らの他者に対する無条件の優しさ・献身的態度が突出しているのです。彼らの振る舞いには日本人も多くを学ばなければならないと感じています。次に多い外国人が中国です。中国人の進出がここまで既に来ているのかと驚きです。もちろん彼らも独自に飲食店を展開し、チェーン店も持っています。DüsseldorfやKölnにも日本人街はありますが、比ではないと思います。日本人が現状維持を基本にしているのに対し、中国人たちは発展、拡大を目指しているからです。彼らは概して真面目です。
ドイツに来て一番驚いたことは、商店についてです。土曜日の開店時間は平日よりも少なく、日曜日は主要駅の中にある店を除き全て閉じます。休息日ということでしょうが、もう少し商売根性を出していいのではないかと思います。特に飲食業は休日が稼ぎ時であり、閉めるべきでないと思えてなりません。最近日曜日であっても開けている店をぽつぽつ見つけましたが、全体の一割にも満たないかと思います。また、祝日の閑散さは圧倒されます。ドイツ人の友達から明日は休みだと聞かされ、初めてわかるときは特にそうです。駅のマクドナルドでさえお客はほとんどいません。「コンビニ」がないだけに余計にその不便さ、違和感を感じます。日本のサービスが特別なことは確かですが、これも「文化」として受け入れ、休日を買い物以外で楽しんでいます。
[自由テーマ]
●自然
学生証があれば、NRW州は自由に交通機関が使えます。その際よく目にするのが、列車からみえる自然の豊かさです。日本で見える自然といえば、田んぼ、山、川、海、畑といったところですが、こちらでは広大な自然がずっと眺められます。日本でなぜこれらの景色が望めないか。一つは国土が小さいこと、人口が密集していることが挙げられると思いますが、私は日本の利益追求型、効率型社会に原因があると思います。これは前に述べた商売根性とはまた違ったものです。会社の利益を追求するならば、線路付近に生い茂る木々は無くしたほうがコスト面でも安全面でも安上がりです。ですが、人間の暮らしを考えたとき果たして自然環境を取り除くことがよいといえるでしょうか。私は進学のため京都に来たときでさえ緑の少なさに驚きましたが、日本の単なる移動手段としての交通機関のあり方に疑問を感じています。