Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

デュースブルグエッセン大学
2016年10月号 法学部 Y.N

・治安、危険を感じたこと、トラブルについて

治安でいうと私の住んでいる地域はドイツでも指折りの悪評です。移民が多い理由もありますが、基本的に工業地帯であったこともあり、戦時中からインテリ層が少なく最近大学が作られていますが元々下町なので街の品は低いです。私自身まだ被害にはあっていませんが危ない経験は幾つかあります。まずドイツについて一か月たたない四月後半、電車に一人で乗っているとき何かズボンの左ポッケットに何者かに触られふと触ると何もなく、後ろで下車のために並んでいる人が違う方に行ったので追いかけながらポケットを触っていると幸運なことに財布も携帯も上着の内ポケットに入っていたので、胸を撫でおろしました、これが教訓となり今では必ず電車など密集しているところに行くときは、必ず財布と携帯の位置を確認して安全なところにしまう癖がつきました。他にも僕の目の前で海外から来たであろうビジネスマンがスーツケースの上においていた鞄が普通のかっこうをした大学生のように落ち着いた雰囲気の青年がしていたので見た目で判断できないと思いました。他にも駅から大学と反対の方に行くと、公園があります。そこでは朝から夜中まで人がいます。いつも酒を片手に公園の真ん中に何人か溜まっているので近づかないようにしています。基本的に夜中外出する際は歩いている人みんな怪しいと思うに越したことはないと思うので、常に後ろ左右には気を付けた方がいいでしょう。

 

・ダッハウ強制収容所

強制収容所と言えばアウシュビッツを思い浮かべるかもしれません。しかし収容所はそこだけでなくあらゆるところにありました。確かにアウシュビッツが有名な理由はあそこはただ殺戮のためだけにいかに人を合理よく利用し殺すか、しかしダッハウはユダヤ人だけでなくドイツ人も囚われていました。理由は政治犯などです。ナチス党を批判したりするとゲルマン民族だろうと収容されました。まだアウシュビッツには行っていないので何も言えませんが写真などを見る限り寝床や牢獄はまだましに見えました。真ん中に広い広場があり、資料によるとサッカーなどの娯楽も少しは許されていたそうです、が、それはプロパガンダに過ぎず、やはり人体実験や、拷問など非人道的なことが行われていたようです。しかし皮肉なことにこのおかげで人体における極限が判明し今の医療におおいに生かされているのです。しかし他人事ではないと感じました。日本も昔満州や朝鮮半島に対してこのようなことをしているのだなと思いました。いつまでも謝り続けるというわけではありませんが、歴史に対して目をそむけてはいけないと思いました。ドイツ人は中学校の途中から高校最後までこのことについて授業でとことん議論の時間があります。ドイツ人はあの時代の人たちと同じく括りにするなという意識があるようです。