余暇の過ごし方について
冬学期は10月の初旬から始まります。私の夏休みは夏期講習と旅行に費やしました。世界史で学んだ歴史の舞台を見るためWienとBudapestに訪れる機会を持たせて頂きました。30年戦争後のドイツではホーエンツォレルン家のプロイセンが台頭し18世紀になるとハプスブルク家のオーストリアと並ぶ強国となりました。1740年オーストリアのマリア−テレジアがハプスブルク家の領土を相続したが他の国や領邦はこれに異議をとなえオーストリア継承戦争がおこりました。同年プロイセン王となったフリードリヒ2世はこの機会を利用してハプスブルク家の所領で鉱物資源の豊かなシュレジエンを奪いました。この地の奪還を狙うマリア−テレジアが長年の宿敵フランスと同盟しロシアとも結ぶとフリードリヒ2世が7年戦争を起こしました。プロイセンは苦戦しましたがイギリスの援助を受けてシュレジエンを確保しました。皇帝カール6世の娘であったマリア−テレジアは夫フランツ1世および長男ヨーゼフ2世との共同統治をふくめ40年間オーストリアを支配したが家庭的には16人の子供をもつ母親であった。そんなマリア−テレジアが過した宮廷内部を見学することができました。外観にも圧倒されましたが内部はさらに華麗で美しく、細部までこだわり抜かれた部屋が数え切れないほどありました。当時使用していた食器や陶器の実物をみることができ、日本語の音声ガイドもありました。マリア−テレジアの末娘でフランスとの関係改善のため15歳でのちのフランス王ルイ16世の妃となったマリー=アントワネットの屋敷も見学させて頂きました。1791年10月新憲法のもとで国民議会にかわって新しく立法議会が発足し、国民公会で王政の廃止が決議され彼女の夫である国王ルイ16世は処刑されました。
農業社会から商業社会へ
植民地争奪戦で勝利をおさめたイギリスは18世紀なかばには大西洋を囲むように西インド諸島・西アフリカ・北米大陸に植民地帝国を形成した。イギリスは黒人奴隷を使用した植民地プランテーションで生産した砂糖・タバコ・綿花などを大量に輸入しヨーロッパ大陸へ再輸入した。こうして貿易構造は大きくかわりロンドン・グラスゴーなどの商業都市と富裕な貿易商人が生まれて資本も蓄積された。また、農業の面でも新しい農法が採用されて生産が増加し大規模な食料生産を行うための第二次囲い込みが議会の立法をへて進められた。この農業革命によって増大する人口を養うことが可能になり国内市場も拡大した。燃料の面でも18世紀はじめダービーによりコークス製鉄法が開発され鉄の生産において木炭から石炭への転換がおこった。イギリス政府は国内産業の保護と海外市場の確保に熱心でありフランスとの戦争に備えた巨額の軍事支出も経済活動を刺激した。国内需要の拡大と政府の支援に支えられて18世紀後半にイギリスは農業社会から商業社会へと移行し社会の構造や人々の生活も一変した。