Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

チュラロンコン大学
2025年5月号 国際学部 Y.S

留学を振り返って

 「タイに10ヶ月留学に行ってます(した)」というと、大抵は「なんで?」と返ってくる。「3、4日の旅行ならまだしも、10ヶ月も一体何をするの? ムエタイか? それとも出家か?」と問う心の声が聞こえなくもない。(だから「空手を習ってます」漏らすとなおのこと質問責めを食らうことになる)

 留学先にタイを選んだのは、幼少期から慣れ親しんできたタイ映画がきっかけである。小さい頃から「マッハ」シリーズや「チョコレート・ファイター」などのタイのアクション映画を見て育ち、タイに行きたいという気持ちが日々募っていった。本当は大学に入ったらすぐにタイ旅行に行くつもりだったが、それは叶わなかった。コロナ禍である。大学に入って初めの半年間は、国外旅行はおろか、自分の部屋から出ることもままならなかった。ちょうどその頃、いつかタイに行けるようになったときにより実りのある体験にしたいと思い、タイ語を習い始めた。2020年の夏、今から5年も前である。
 タイに来て間もない頃、ある1本の映画に出会った。その映画はとんでもなく面白くて、思わず配給会社の海外セールス担当に「日本での公開予定はないか」とメールで問い合わせてしまった。外国で制作される映画の中で映画祭に出品されるのはごく一部、その中でも配給会社が目をつけて日本での正式公開まで漕ぎ着けるのはさらに限られてくる。タイの映画館でタイの映画を観て、これが好きでいままで生きてきたんだと実感する一方で、私一人じゃどうやっても日本に届かんのか、という歯がゆさも感じた。もっといろんな映画を観たい、そしてあわよくば映画をニーズのあるところにもっと届けたいと思うようになり、そこで配給という仕事に興味を持った。私をタイに駆り立てたのが映画であれば、私を空手道場に送り出したのも映画だった。今だってこうして映画のことばかり考えている。タイでの雑多な経験には、映画という一本軸がピンと通っている。

 計画はつくづく思い通りにいかない。視覚芸術について学んで趣味のお笑いに生かそうと思っていたのに、受講するはずだった講義が開講されなかったりと計画は早々に頓挫。常に頭の中は映画でいっぱいで、タイにいるのにムエタイではなく空手を習い始めてしまう始末。失敗と挫折でいっぱいの10ヶ月で、立てた目標のほとんどは達成できずじまいだった。その代わり、タイに降り立った頃には予想していなかったものとの出会いがたくさんあった。そしてそれは未知との遭遇とのようで、いままでで人生で大事にしてきたものや価値観を再確認する場でもあった。

旅行中に引いたおみくじ

占い師による解説曰く、熱量がないから将来の夢は叶わないらしい。くやしい。見誤ったと言わせたい。

 

この留学をどう活かすか

 海外での生活に慣れるということは、日本とのギャップに順応するということであり、つまりは御仏のように森羅万象に対して寛容になるということである。これはテキトーになったり、「どうでもいい」と投げやりになったりするのではない。物事がうまくいかないことを念頭に置き、常にプランBやプランCを用意するようになるということである。

 これは学習面でも変わらない。英語で授業を受けるという言語での難しさがあり、一回の授業が3時間あるという慣れない習慣での難しさもあった。しかし、失敗だったり、成功へ向かう糸口を見つけられない停滞感を感じる中で、「失敗は成功に至るまでのスキームの一部だ」と捉えられるようになり、うまくいかなくてもあまりへこまず、常に次の一手を考えられるようになった。

 大学での勉強の傍ら、週末はバイタクに乗って道場へ向かい、空手の練習に身を捧げた。習い事というのは、教室の外での時間の使い方がものを言う、とはよく言われたものである。空手もご多聞に漏れず、道場にいる時間は新しく型を習ったり、練習してきた型を師範に見せてフィードバックをもらうための時間であり、道場にいる以外の時間でどれだけ練習してきたかが一番重要なのである。1週間何もせずに過ごし、先週と変わらぬクオリティの型を見せるのはたわけ以外の何者でもない。

 「努力なんてリターンが不確定なもの、ギャンブルとまるで同じじゃないか!」と受験勉強さえも避けて通ってしまった真性のたわけである私にとって、この留学は努力の必然性を知るとてもいい機会になった。

 

初日(左)と最終日(右)

右は、このあと飛び蹴りの練習中に足の甲から着地してしまい、せっかくの最終日をほとんど病院で過ごすことになる。