Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

大連外国語大学
2011年7-8月号 経済学部 N.E

夏休みについて

私は、中国に来てから体調を崩してばっかりだったので期末テストが終わるとすぐに2週間ほど日本へ帰国しました。日本へ帰国する日、運が悪いことに大連の空は霧が多く飛行機が予定時間よりも5時間遅れて飛びました。家に着き親が晩御飯を食べずに待っていてくれました。やっぱり家族で食べるごはんはおいしいかったです。今まで当たり前のように食べていましたが、やっぱり家のご飯が一番だと思い知らされました。2週間はほとんど彼氏や友達と遊び、祖父母の家に行き充実した休みを過ごしました。

それから、大連に戻り私は、彼の実家で1か月程一緒に暮らしました。初めて、彼の親に会った時緊張と不安でいっぱいでした。また、2週間全く中国語に触れていなかったため自分の話したいことや聞き取りが全然できませんでした。けれど、何日か一緒に過ごしている間に徐々に聞き取れるようになり、今まで自分が使っていた中国語の文法が間違っているなど、一緒に暮らしていて気づかされることが多くありました。授業で出てくる単語なども大切ですが、日常ではあまり使われていないこともわかりました。

ある日、彼の親戚の方とプールに行く機会があり一緒に行かせてもらいました。私の中でプールに行くイメージは、長島スパーランドのジャンボ海水プールでした。けれど、行った場所は、50メートルの大きい競技用プールと子供用の小さいプールが2つだけでした。来ているお客さんたちは、みんなひたすら泳いでいるだけでした。また、プールの水は海水だったため、プールを出てから顔がかゆくなり湿疹がでてきてしまいました。

また、旅行がてらに上海へ行きました。上海には、彼の友達もいて留学中の私の友達もいました。上海は、私が思っていたよりもすごく都会でした。まず、空港の広さに驚き、タクシーの金額にも驚きました。タクシーはとてもきれいで、金額が大連は8元からなのに、上海は14元からでした。大連に比べて物価が高く感じました。また、上海は日本の店が多くありました。例えば、FamilyMartやLAWSON、セブンイレブンがあり、飲食店ではサガミやサイゼリヤ堂島ロールがあることに驚きました。上海はもしかしたら日本よりも発展しているのではないか?と思うぐらい都会でした。けれど、ひとつだけ欠点がありました。それは、水です。上海の水は、すごく墨汁臭かったです。飲食店のジュースの氷もその水が使われているため墨汁臭く、飲み物に関しては、少し抵抗がありました。それをのぞけば、上海はとてもきれいな街で楽しかったです。

大連に戻り、彼と一緒に居られる残された時間を大切に過ごしました。朝は、近くの朝市に一緒に買い物に行き、お昼は一緒にごはんを作りみんなで食べ、夜は家族みんなで公園へ散歩に行き、帰宅後はみんなでフルーツを食べるのが習慣になっていました。私は日本に居る時、夜ごはんを食べ終わってから散歩に行く習慣などありませんでした。家族の人と一緒に行くようになってから、夜多くの大人が散歩していることにも気づきました。彼が言うには、中国の会社員は遅くても帰宅するのが6時だそうです。そのため、夜は7時ぐらいからごはんを食べ始め、終わったら散歩に行くのが習慣になっている家庭が多いようです。公園では、太極拳をしている人やエアロビをしている人が多くみられました。私も、太極拳に参加しましたが、かなり難しく断念しました。けれど彼のお母さんは毎日していないにもかかわらず、すごく上手に体を動かしていました。このような普通の留学生ができない生活を過ごしながら夏休みが終わりました。彼の家で過ごせたおかげで、前まで聞き取りが苦手だったのに中国人同士の会話がある程度聞き取れるようになりました。