Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

ハノイ大学
2023年 12月号 国際学部 K.Y

〈治安、危険を感じたこと、トラブルについて〉

 

私がいるハノイでは電車やバスが一応あるものの、ほとんどの場合移動手段はバイクです。しかしベトナムの交通事情は非常に悪く当然のように歩道をバイクが走り、道路を逆走し、赤信号を横断します。車は税金が非常に高い上に当て逃げが日常茶飯事のハノイではあまり適した移動手段ではないように感じます。限られた移動手段の中で私はなるべく歩くことを心がけているのですが、この数ヶ月のわずかな期間の中ですでに大小含め多くの交通事故を目の当たりにしました。大きいものでは車が大破しているものや横になって動かない男性の姿も目撃しました。ベトナムの歴史をあらゆるところで感じることができるハノイの路地を散策することは非常に楽しいのですが、交通事情と道の悪いハノイでは十分に注意する必要があります。

しかし、ハノイの治安自体はいいと思います。日本が特殊な国だと世界中から言われる一つに「落とした財布が手元に戻ってくる」というものがありますが、私は日本のそれに非常にお世話になった一人です。しかしこのハノイにおいても、私はこの数ヶ月の間に長距離バス、タクシー、飲食店にて計3度財布を忘れてしまったのですが、驚くことに今も私のポケットには一銭も手をつけられずにかえってきた財布がはいっています。この経験から今では財布を忘れたことをベトナム語で伝えることができます。当然、運が良かっただけなので残りの留学生活では貴重品の管理には十分気をつけたいと思います。

 

〈ベトナムの結婚式について〉

 

先日、友人の親戚の結婚式に招待され参加してきました。その友人とは一緒に旅行に行く仲ではあるものの、会ったこともない人の結婚式に参加していいものかと正直躊躇しましたが、結果としては参加して良かったです。

(服装と祝儀代)

服装は日本の結婚式のように男性はスーツ、女性はドレスのように決まったものはなくラフな服装の人が多い印象でした。しかし女性の中にはベトナムの伝統衣装であるアオザイを着ている方も多くおられました。男性の中にはサンダルにジーパンといったTheラフの方からネクタイまではせずともスーツで参加されている方まで幅広くおられました。ただ、ベトナムの結婚式と一括りにすることは難しく、都市部か地方では大きく違うようです。私の別の友人は地方の結婚式に初めて参加し、都市部との違いに驚いていました。

祝儀代は大体500,000ドン(約3,000円ほど)で招待された方もしくは関係の深い方に手渡しか口座送金でお渡しします。口座番号はオンライン上で届く結婚式の招待状に記載されています。

(飲み食いの2日間)

上記で言及したように、ベトナムの結婚式は都市部と地方で大きく異なり、都市部では日本と同じく結婚式場にて挙式されることが多いようなのですが地方では通常、新郎新婦両方の家で2日間に分けて行われるようです。私が参加した結婚式は紛れもなく地方の結婚式でした。まず第一式場となる新婦の実家までハノイ市から車で約1時間半ほど揺られ、新婦の家に到着後、午後の2時過ぎから大量の食事とお酒をおよそ200人程度の参加者がいくつにも分かれたテーブルにてそれぞれ楽しみました。

用意された食事はベトナムの家庭料理がメインで、参列者のもの全てがお手製ということだったので大変驚きました。中には初めて見る料理もありましたが全て美味しくいただくことができした。お酒もベトナム産のものが用意されており、昼下がりから多くの方が頬を赤らめていました。また私が唯一の外国人参加者だったということもあるのか、光栄にも多くの方達がおちょこ片手に私の席を訪ねてくださり、その方々全てと乾杯させていただきました。非常に楽しくはあったのですが、ベトナムのお酒は度数がかなり高く、おかげでかなり酔っ払ってしまいました。結婚式にはDJも参加しており、日本の結婚式とは違い非常にワイワイとした賑やかな結婚式でした。その日は22時ごろまでカラオケをしたりお酒を飲んだりした後、近くのホテルに宿泊しました。

結婚式2日目は朝8時ごろから新郎の家で始まりました。昨夜の宴や朝の8時であることなど何もお構いなしに、初日と同じように大量の酒と食事が用意されており正直心の中では「もういいよ…」という気分でしたが、笑顔で乾杯を求めてくださるおじさん達には抗えず2日目も大量に飲んで食べて歌って踊ってという楽しい日でした。楽しい時間はあっという間に過ぎ、結婚式は午後5時ごろにお開きとなりました。帰りのタクシーは爆睡で起きたら家に着いていました。当分ベトナムの結婚式は遠慮したいですが、ベトナムの方々の家族愛や温かい友人関係に触れることができまた少しベトナム愛が強くなった、そんな式でした。