Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

中国人民大学
2012年10月号 国際文化学部D.H

『この1年を振り返って その1』

この1年を振り返って、私はこの留学は自分と向き合い続けた1年だったと思います。人民大学に来て数日経った頃、他の日本からの留学生の紹介でレンギ会の会長に出会いました。「レンギ会」というのは、日本から来た留学生のために手続きや交渉などを替わりにやってくれるボランティアの会です。会長は私に出会ったついでに私の銀行の口座を開設してくれました。その後、レンギ会の開いたパーティーに出席しました。レンギ会に出会う前は暗い顔だった他の留学生も、十分なサポートを得られると知ってすっかり安心したようで、顔を輝かせていました。その顔を見た時、私は急に焦りのようなものを感じました。レンギ会の会長は出来ないことを肯定します。次は携帯の契約をしてあげよう、と言ってきました。しかし、私は、これではこの留学も、そして私自身もダメになってしまうと思い、「携帯の契約は僕1人でやらせて下さい」と言いました。その時、私はまだ中国での知り合いはほとんどいなかったので、まだ携帯を買うのは早いかな、と思い買わずにいたのですが、再び会長から同じ誘いがありました。私はそれを断ってすぐ電気屋に向かい、携帯電話を購入しました。その時は運動選手が事前に軽い運動をして体をつくるのと同じように、中国語の頭をつくっていなかったので、何度も聞き直し、言い直しの揚げ句、何とか携帯の契約が出来ました。ちなみに、1年経った今でも中国語を話す前の準備運動は必須です。その後、会長に電話を掛け、自分の携帯の番号を伝えるのと同時に、暗に、レンギ会の助けを借りなくても、私には1人でやっていけるだけの力がある、ということを証明しました。レンギ会の人達の好意には悪いのですが、その後、レンギ会の集まりには参加しなくなりました。

 「留学の期間は1年しかない。だからいろいろなことに挑戦するためには捨て身でなくてはいけない」。これが私の留学する上での基本スタンスでした。

 

『この1年を振り返って その2』

 それから数日が経ち、授業が始まる時期になりました。私はクラス分け試験で面接官と交渉して、高級班Aの生徒になりました。授業が始まる前から何度か実際に遭遇して分かってはいましたが、この学期の生徒は非常にレベルが高かったです。ほとんどの生徒が1~2年、研究生をやっていたり、仕事との両立をしながら通ってくる生徒なので、留学経験のない生徒は高麗大学から来た女の子1人だけを除いて私だけでした。授業が始まるのは朝の8時からなので私は1時間前の7時に教室に来て、音読などをしたりして中国語の頭をつくってから授業に臨みました。もちろん、私は他の生徒に負ける気などありません。緊張感を保つために、1番目立つ2列目の真ん中の席に座り続けました。そうやっていく内に、先生が私の発音を矯正するために授業後毎に、個別に指導してくださるようになったり、クラスの人の人間関係から、外の中国人へと人間関係が広がっていきました。

 しかし、こうやっていつも上手く行くとは限りません。私の言っていることの意味が通じなくて、何度も試行錯誤をすることもあります。もちろん失敗して笑われることもあります。なので、恐らくその頃が1番中国語を熱心に勉強した時期だと思います。しかし、一緒に勉強をしてくれる仲間もおり、何とか諦めずに最後まで授業についていくことが出来ました。

 その学期の教室には10ヶ国以上の生徒がいたので、日本にはない面白いことがありました。期末試験の時、試験で教室に最後まで残っていたのは留学1年目の研究生のベトナム人なのですが、私はその人が授業中1番陽気で1番よく話すので、かなり賢い人だと思っていたのですが、その人のテストの結果は30点程でした。その時、異郷で外国語を使って暮らすためのコミュニケーション能力とはこういうことだと実感しました。もう一人、日本人で同じような性格の、中国語が本当に堪能な人を知っていますが、ただ1つ、「陽気さ」があるだけで、私がケガを覚悟していたり、入念な準備をして挑むようなことに軽々と飛び込んで行きます。私は、人や失敗を恐れない陽気さ程、語学の習得において、健全で強い性格はないと羨ましく思います。

 

『この1年を振り返って その3』

 1学期目の授業が終わり、あと半年分留学期間が残っている私以外、高級班Aの生徒は全員卒業して行きました。北京もほとんど回ってしまい、友達もほとんど人民大学に残っていなかったので、そろそろ卒業後のことも考えなくてはと思いはじめました。新学期のクラスは生徒に合わせて授業のレベルが落ちたせいか、前学期のような刺激や緊張感がなく、ただぼんやりと授業に通っていました。そんなある日、先生が私に口頭で教科書の問題を幾つか出し、私はそれに全問正解しました。そして先生は私に「どうしてこの授業に出ているの」と聞いてきました。私は留学期間のことを話すと、「あなたはかわいそう」だと言われました。私は他にやるべき事があったので、その日から特定の授業しか出なくなりました。替わりに中国語で卒業論文の制作を進め、ほぼ完成させることが出来ました。

 私はこの留学で語学力よりもむしろ度胸が養えたと思います。これからの就活の時期は、私の人生で最も影響力のある重要な時期でもあります。留学前は就活に関していい案や考え方を思いついても、それらは自分の恐れによってすぐにおぼろげで実現不可能なものになってしまいました。しかし、中国で、数々の修羅場をくぐり抜けてきた今の私なら、絶対大丈夫です。自分の弱さのために迷わない自分になって日本に帰れることが誇らしくもあり、また、これからが楽しみでもあります。本当に、私に今回の留学の機会を与えてくれた方々や、中国で出会った方々に感謝しています。ありがとうございました。