Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

デュースブルグエッセン大学
2011年8-9月号 文学部 G.T

休み期間について

冬学期の多くの授業は10月の中旬から始まるのですが、私は3日間限定で行われるブロックゼミナールに参加しました。時間帯は朝の10時から夜の6時くらいまで少しづつ休憩をはさみながらこなしました。1コマ2時間の授業を14、5回3日間でやるようなものです。講師は二人体制です。一人は大学院を出てさほど時が経っていないような女性で、もう一人は若手の男性講師でした。関心したのは、講師同士は知り合いなのか互いを”du”で呼び合っていたこと(もちろん生徒に対しては”Sie”)と、時には生徒を置き去りにして若い女性の講師と男性講師が論戦していたことです。私自身は聞くことに精一杯で発言することはできませんでしたが、夏学期にVorlesungに出ていた時よりも格段に話されている内容が聞き取れていたことがとても嬉しかったです。

この授業はドイツ人のある哲学者をテーマに展開されたのですが、私のなかで強く痛感したことがあります。その授業で講師方が次々とドイツ哲学を参考に授業を進めていた点です。日本で果たしてこれができるだろうか。私はドイツ哲学に強く惹かれていましたが、和辻哲郎などの日本哲学者などを読むべきだと私自身考えています。

大学の図書館。同じ棟の教室で語学コースの授業が行われる。

留学へ向けての希望

私は一回生のドイツ語スピーチコンテストに参加したときから留学を希望していましたので、留学に対しては希望が9割以上で不安はさほどありませんでした。海外は初めてだったので、まずパスポートを取得するところから私の留学生活はスタートしました。留学に向けてしなければならない手続きがいくつかあります。留学先の大学に留学願いと寮の申し込み、日本との送金方法の確保、龍谷大学の保険への加入、渡航チケットの購入、ドイツ外国人局でのビザ取得の際に必要な銀行残高証明書(詳しくは大阪・東京ドイツ大使館に問い合わせること)です。一番骨が折れたのは留学先の大学との寮に関するやりとりです。寮の確保に関して、私たち交換留学生は現地の他の正規学生より優遇されます。ですから留学願いを届けるのと並行して、寮の手続きも根気強く交渉していれば問題ありません。エッセンキャンパスに通うなら、Sommerburgstrasseや Meistersingerstrasseがおすすめです。私は海外旅行の経験すら無かったので、言語や食べ物の心配は大きな問題ではありませんでした。その点留学に対しては大胆に構えることができました。

しかし、一年間海外で時を過ごすとは、また交換留学する(他の大学の世話になる)とはどういうことなのか。なぜ自費留学、短期留学、語学研修、海外旅行でなく交換留学、長期にわたる留学を希望するのか。その行動になにを期待しているのか、叶えたい望みはなにか。留学条件や金銭状態ももちろん重要な判断材料ですが、交換留学でなければならない理由を考え続けることは留学の成功の助けになるのはもちろん、その後の就職活動にも大いに役立つと思います。

講義(Vorlesung)を受けた教室。

留学後の変化

留学して良かったことは数え切れないほどあります。寮の隣人に助けられて涙を流したこと、友人らに暖かい手を差し伸べられ涙を流したことは忘れられない留学の一ページです。留学による私自身の大きな変化を感じたのは、旅行中の友人が私のもとを訪れたときです。当時私は体調をひどく崩していてなかなか思うように友人の相手ができませんでした。ですが、龍谷と独協大学からの留学生たちが彼と遊んでくれました。留学前にそのようなお願いができる友人が、それを快く受け入れてくれる友人が私にいたでしょうか。留学によって得るものは山ほどあって、失うものはその山に埋もれてしまうぐらいわずかなものです。留学に対して消極的になる必要はひとつもありません。

寮に関する手続きが行われている場所。エッセン大学内に設置されている。